自律訓練法に挑む②
自律訓練法を2年間続けてみた。
結論から言えば、改善された症状もあり、改善されない症状もあった。
◆改善した症状
対人緊張の緩和
・他人と話をする際の笑顔の引きつり、こわばりが無くなった。(リラックスしており愉快に話ができる感じ)
・集会などの人ごみに入る時、周囲の人間の視線が気になって不安になって仕方がなかったがそれが無くなった。
・集団の中にいても気持ちが落ち着いて堂々としていられる。
あがり症の改善
・プレゼンなど人前で話すとき頭が真っ白になり、かんだりどもったり、しどろもどろになっていたがそれが解消。
不思議と落ち着いていられる。
緊張型頭痛の解消
・パソコン作業により頭部全体の緊張と違和感がひどかったがそれが解消された。
眼精疲労の解消
・パソコン画面を見るたび目がしみるように痛んでいたがそれが解消。
・朝方の日光を見るたび目がしみるように痛んだがそれが解消。
胃腸が強くなった。
疲れにくくなった。
◆改善されなかった症状
不眠症
・やはり寝つきが悪い、ひどい時には眠れない。睡眠薬を飲まずにいられない。
鬱
・漠然とした不安感、ひどい憂鬱感、焦燥感。
醜形恐怖
・自分の見た目が気になって仕方がない、病的に鏡ばかり見てしまう。
自律訓練法を地道に続けた結果、自律神経のバランスの乱れからくるであろう症状は見事に改善された。
しかし不眠、鬱などしぶとい症状には効力がなかった。
通常、自律訓練法は不眠治療によく使われるのだが僕の不眠症状にはほとんどと言っていいほど効き目がなかったのだ。
ただし、気持ちの落ち着きや対人緊張の緩和、胃腸の調子が良くなるなど確実に訓練の成果はあったのだ。
そして訓練を続けていく中でいろいろ不思議な反応があった。
訓練自体、それぞれの公式によって人間の無意識にアプローチする手法であり意識するしないに関わらず無意識に体が
反応してくのである。
I先生は背景公式「気持ちが落ち着いている」、第1公式「手足が重たい」、第2公式「手足が暖かい」この3公式だけ
でもすごい効果があると言っていた。
具体的な訓練指導は受けておらず、日本における自律訓練法の第一人者でもある佐々木雄二先生(1936年広島県生まれ。1961年九州大学医学部卒業)の著書を薦められその本に基づいて僕の訓練の日々が始まった。
この本の中には受動的注意集中という言葉が出てくるが、「手足よ重たく、暖かくなれ!!」と力むのではなく、ただ公式を念仏のように唱えるだけで後は身体がどう反応するかは身を委ねるということらしいのだが、この状態が結構掴みどころがなく難しい。
I先生曰く、「そんなことはいちいち気にせずバカになって公式を唱えていれば良い」「手が暖かくならなくても、暖かくなろうが
とにかく毎日淡々と公式を唱えていれば良い」とのことで、それに従ってバカになって毎日最低15分は公式を唱えていた。
そうすると、今まで何の反応もしなかった腕や足が急に暖かくなり、その時はひどく感動したが、「よし、また暖かくしてやれ!」と意識すると途端に身体は反応しなくなるのだ。
やはり、結果がどうであれ訓練をとにかくバカになって続けるしかないのだ。
何とか1年近く継続し、第5公式の「お腹が暖かい」まで身体が反応するようになった。
自己暗示なんかバカにしていたが、頭の中で念じるだけで手足やお腹が本当にポカポカ暖かくなるから不思議だった。
- 作者: 佐々木雄二
- 出版社/メーカー: ゴマブックス
- 発売日: 2005/08/25
- メディア: 単行本
- 購入: 3人 クリック: 3回
- この商品を含むブログ (9件) を見る
- 作者: 佐々木雄二
- 出版社/メーカー: 創元社
- 発売日: 2007/12/10
- メディア: 単行本
- 購入: 1人 クリック: 4回
- この商品を含むブログ (1件) を見る
自律訓練法に挑む①
認知療法により、疲れない考え方を身に付けた上で薬を徐々に減らしていった。
I先生にも診察の度、日常生活の中でどういう気付きを得てどう考えるようになったか報告もし、歪んだ思考があればより良い考え方を教えてもらった。
神経症症状は相変わらず出ていたものの、メンタルは出来るだけ薬に頼らずにしようと減薬に意気込んでいた。
受診から一年近く経ち先生が僕の治療に取り組む姿勢と容態を察知してくれたのか次の段階に進むため新たな療法を紹介してくれた。
「自律訓練法」というものだった。
初めて聞いたその治癒法は、1932年にドイツの精神科医シュルツ(Schultz,J.H.)によって創始された自己催眠法であり、ストレス緩和、心身症、神経症などに効果があるということだ。
ただし鬱病には効果は期待出来ないらしく、僕の病状を神経症及び自律神経失調症と診断してのことだった。
自己催眠法と聞いて本当に効果があるのだろうか、その前に自己催眠すら怪しく思えて仕方なかったが、神経症で人生どん底にいた為そんなことも言ってられなかった。
自律訓練法のやり方を以下にまとめたので参考にしてほしい。
自己暗示に公式があり、第1公式~第6公式の合計7つの公式からなる。
背景公式
気持ちがとても落ち着いている。
第1公式
手足が重い。
第2公式
手足が暖かい。
第3公式
心臓が静かに打っている。
第4公式
呼吸が楽になっている。
第5公式
お腹が暖かい。
第6公式
額が涼しい。
これらの公式を順番で繰り返し唱え、自己催眠状態になっていく。
自律訓練法では、特有の生理的変化や意識状態(めまい、脱力感など)が生じることもあるため訓練の後は消去動作を行うことが推奨されている。
消去動作 - 下記の運動により特有の生理的変化や意識状態が取り消される。
1 両手の開閉運動
2 両肘の屈伸運動
3 大きく背のび
4 深呼吸
目的に応じて、一部の公式を省いたり、別の公式にするなどした変法も多い。
なお、数学などでもないのに「公式」という言葉を使うのは奇異に聞こえるが、自律訓練法では「公式」というのが普通である。
自律訓練法によると自分で自分を催眠状態に誘導できるらしく、その催眠状態そのものが心身の疲れを癒してくれそこへ公式による暗示をかけさらに心身がリラクゼーションの世界へ入っていく。
神経症、心身症は自律神経のバランスの乱れから引きおかされるとも言われ、訓練によりそのバランスが調い種々の病的な症状に効果があるという。
I先生いわく効果は確かにあるのだが、問題は訓練を継続出来るかどうかで、最初はみんな意気込んで始めるが続かずに挫折する人が多いらしい。
僕のような重い症状の場合は最低でも1年間続けるべきで、1日5分でも良いからできれば死ぬまでやってほしいと言われた。
先生自身も既に20年間続けているみたいで、ストレスとは無縁の生活だと言っていた。
その話を聞き自分もストレスフリーの身になりたいと思い訓練に挑戦してみようと心に決めた。
次回に続く
自分の中に哲学をもて!
哲学が神経症克服にどのような効果があるのか甚だ疑問なのだが、自分のような対人関係で困惑し自分の容姿に一喜一憂している人間にとっては、どうでもよい情報に振り回されない、要は情報の善し悪しを判別できる内面が重要だということだ。
それには物事の根本原理、真理を追究する哲学的思考を体得しなければならないらしい、そして、その為に哲学書を読む事を薦められた。
客観的に人生、そして、自分自身を見つめることにより考え方が成熟し、自分の容姿について見方が変わるかもしれない、同時に飲み過ぎている薬を徐々に減らしていくよう方針が固まった。
哲学なんてあまり馴染みのなかった僕が、とりあえず、本屋で哲学書を探し読む事になる。
人生初の哲学書だが、手に取った本は著者ヨースタイン・ゴルデルの「ソフィーの世界」だ、初めての人でも読みやすい哲学の入門書だが、ページ数は多くかなり分厚い。
古代ギリシャの哲学者ソクラテスから始まり、デカルト、カント、ヘーゲル、ニーチェなど西洋の代表的な哲学者の考えを物語形式で分かりやすく書かれており、結構な量であったが最後まで一気に読んでしまった。
哲学者に皆共通していることは、「人生とは何か?」、「人間とは何か、本当の自分とは?」という根本的な問いかけに思索を巡らしておりそこに重要さを見出だしていることだった。
世の中にはいろいろな情報が溢れている、テレビをつければ、利便性追究の製品コマーシャルで視聴者の物欲を掻き立て、ドラマでは俳優、女優がスマートなファッション、立ち振舞いをし、美への追究を増進させる。
メディアが流す情報は多種多様でそれぞれ独自の説得でうったえかけているが、何が本当に重要なのか分かりにくい。
僕もそういうメディアの広告に振り回され、自分の見た目、他人からどう見られてるか、そんなことばかり考え、気苦労し、精神的な不調に陥り、それが肉体的不調にもリンクしてるのでは?
と自己分析をしてみた。
そして、僕が幸せになるにはもっと人生の根本的な部分を見つめることに思考を集中させれば、種々の悩みなどどうでも良くなる、人生には見た目、人の目なんかよりもっと重要なことがある、早速、診察用のノートに書いた。
I先生にノートを見せると、僕のその気付きを誉めてくれた。
「その考え方、気付きを大切にして、徐々に減薬をしていくように、ただし減薬はくれぐれも慎重に進めなければなりませんよ、自分の判断での急激な断薬は絶対に駄目ですよ」と釘もさされた。
さて頭の上での認知の修正をした訳だか、なかなか症状は良くならない、しかし、薬依存の体質から脱却すべく、少しづつ減薬を実行し一年間で薬の量を半分にまで減らすことが出来た。
次回に続く
見た目が気になって仕方がない
まず指摘を受けたことは、僕が見た目を異常なほど気にしていることに対してだった。
「四六時中、鏡ばかりみているなんて君は女性のようだね」
「君だけでなく、最近は化粧する男性もいるそうだ」
「昔はそんな男はいなかった、時代背景があると思うが、ビジュアル系なんていうロックバンドがあるみたいだし見た目を重要視するメディアがたくさんある、テレビのCMや番組でも男の容姿について報じられてる」
そして、僕はそういうメディアに影響を受け振り回され疲弊してるだけかもしれないとのことだった。
周りの情報に振り回されてるということは、自分をもっていない、つまり信念がないと言うこと、信念がない事は自信が無いことに置き換えらる、自信がないと周りの情報に身を委ねるしかなく、情報の善し悪しで自分の精神状態も変わってくる。
見た目が少々悪くても気にならないというか、自信一杯の人はたくさんいる。
要は精神的に成熟しているか、自分の中に何らかの哲学を持つことが重要だと教えられた。
さて、神経症克服の一貫として人生哲学が大事ということだが、どんな哲学を持てばよいのやら…
次回に続く
認知の歪み
I先生の指導により、飲み過ぎている薬を少しづつ減らしていく決心がついた。
そして神経症を克服すべく認知療法がスタートした。
まず自分が朝からどのような症状に振り回され、その時どう感じ、思考をしてるか書き出した。
----------------------------------------------------
朝は起きると決まって憂鬱、心がどんより沈んでいる。
肩甲骨、肩、首筋から頭全体にかけてガチガチに凝っている。動き出すことがやっとだ。
疲れが尋常ではなく、だるくて仕方がない。
「会社に行きたくない」、「嫌な上司、嫌な人間に会いたくない」、「仕事、生きることがめんどくさい」
そして、朝一から決まって自分の容姿が気になって仕方がない、髪型、眼つきなどを鏡を見て何度も確認する。
何度見たところで仕方がないのに、わかっていても何度も何度も鏡を見て容姿を確認する。
髪型が整わないと、より一層憂鬱な気持ちになってしまう。
車に乗り込み会社に向かう、会社に近づくにつれて緊張感、不安感が増してくる。
車内のバックミラーを何度も見て、自分の容姿を確認する。
会社では朝、全体朝礼が行われる、数十人だがみんなが集まる、顔見知りの複数の人間が集まる場が苦手で仕方がない。
「みんな俺のことを見て、変な奴と思ってはいないか」、皆の視線が怖くて嫌で仕方がない。
緊張がマックスに達し、目が泳ぎ、顔面が硬直する、朝礼前、皆笑顔で自然に会話を交わしているのだが、自分にはその「自然に笑顔」が出来ない、話しかけられても、ひきつった笑顔でわけのわからぬ事を口走ってしまう。
そして変なことを言ってしまったと思い、後悔の念に苛まれる。いつものパターンだ。
たまらずトイレに駆け込み、流しでデパスを服用する。
朝礼が終わりデスクに座りパソコン作業だ。
デパスの効用でリラックスして仕事にのぞめる。
デパスを飲まない時は症状がひどく出る。
パソコン画面を見つめていると決まって、眼精疲労、緊張型頭痛が更にひどくなりモニターを見るのが次第に辛くなってくる、
仕事に集中出来ないほどだ。
精神的にも、不安や緊張、自分の見た目のことやら、過去の失敗など、思わなくても良いことが思えてきて、落ち着かなく、気が狂いそうになる。
事務所内の電話がかかってくると更に精神的パニックに陥る、電話が怖くて仕方がない、まともに電話対応ができないからだ。
特に周りに上司などいると、電話をとることが嫌で仕方がない、僕の電話対応はいつもどもり、その上、緊張なのか相手の名前、
話などよく聞き取れず、言付けの時は間違った事を伝えてしまい、担当者にいつも迷惑をかける。
電話対応時はいつもオドオドしてる為、先輩から「お前、挙動不審だぞ」と言われた時は、絶望に叩き落された気分だった。
その事を気にしてより一層挙動不審になっていった。
たまに商談の席で発表の機会があると、頭が真っ白になりしどろもどろになり、わけのわからぬことになり、皆からいつも
失笑をかっていた。
他人との対応もまともに出来ず、かといってパソコン作業も目が痛くなり緊張型頭痛で仕事の能率も極端に下がる。
場面場面で大量に薬を飲まなければ日々の仕事、生活をやっていくことができない。
夕方になると少しは楽になるが、家に帰って八時ごろになると、今度は夜寝る事への恐怖が襲ってくる。
「今日はしっかり寝れるのだろうか?」
自分で自分にプレシャーをかけるのでより一層、緊張し眠れなくなる。
こういう時は睡眠薬を飲むしかない。
そして朝起きてまた同じような一日が始まる。
鬱、不眠、醜形恐怖、頭痛、眼精疲労、肩こり、慢性疲労、だるさ、対人恐怖、視線恐怖、あがり症などなど
数々の神経症症状が自分を苦しめ、まさに地獄のような日々だった。
----------------------------------------------------
上記の内容をI先生に診てもらい、僕の認知、思考の間違いを修正してもらうことになる。
次回に続く
ある心療内科医との出会い
小さな町の病院でこれまでの心療内科医とは何かが違うI先生と出会うことになる。
かなり高齢だが明るく朗らかで、筋の通ったことをズバリと言うその先生は、過去に診察してもらった事務的対応しかしない医師ではなく、医師としての信念を持った方だった。
自分が不眠や不安感や対人緊張やら醜形恐怖などで苦しんでいて、薬を飲んでる話をしたら、「君は薬を一生飲み続けるつもりですか?」続けて「すぐには無理だろうが将来的には薬を飲まずに治すようにしなければなりませんよ」と言ってくれた。
今までの医師は簡単に「分かりました、じゃあ薬出しときますね」と言い、薬を安易に出したのだが、I先生は薬を出し惜しみ、薬ではない方法で治療するとのことだ。
だからといって薬が完全悪というのではなく、あくまで治療を助けるための補助的なものにすぎないというスタンスだった。
そして、「今の君の苦しみは君の考え方の癖からくるかもしれない」と言い、まず僕の思考のクセを読み取るために、日々思ったことをノートにまとめ、そのノートを先生に見せ、僕のおかしな思考を文面から発見し、I先生が思考の修正を指導してくれるとのことだった。
いわゆる認知療法というものだった、そして状態が良くなったら次の治療法に進むということだ。
一筋の希望の光が見えてきた。
治療と言ったら薬としか頭になかった僕にとって、I先生との出会いにより薬物信仰の固定観念が崩れ落ちた。
次回に続く
症状が良くならず数々の心療内科を狂い回る
大学生活も終盤にさしかかり就職活動を始めたが、神経症をかかえまま社会人になることはとても不安だった。
そして、向精神薬で乗り切るっていくしかないと考えていた。
この時とにかく症状を抑える為、向精神薬を飲むことしか選択肢を考えられず、まさに薬物依存性の状態だった。
大学も卒業し社会人となるとその不安は的中し大学時代とは比べ物にならないストレスの嵐に巻き込まれた。
薬の量がストレスに比例して、どんどん増えていった、安定剤の量も既に限度まで達し、そして次第に薬の効力が出にくくなっていった、睡眠薬も効かなくなり、夜も昼も寝れない日が何日も続いた。
とてじゃないが身体がもたず、会社を何度も休むようにもなった。
心療内科科に通っているのに一向に治る気配が無い…
不安に思い別の心療内科も受診してみることにした。
そこでは躁鬱病ではないかと診察され、ジェイゾロフトという薬をもらった、服用したとたん、気が狂いそうになり服用を中止した。
医師に話したら、やはり鬱病だろうということでパキシルを処方された、しかし、パキシルは自分には効果を感じられなかった。
やはり自分にはデパスが一番あっていたようだ、鬱も無くなり、精神的にも落ち着く、しかしそのデパスもほとんどの効かなくなりつつあった。
とにかく自分を正しく治療してくれる病院を探しまくった。
だがどの病院の医師も似たような対応ばかりで、ただ話を聞いて薬を出すだけだった。
「もう駄目だ」とあきらめかけていた時だったが、唯一、今までの医師とは何か違う、今後、自分の人生が良い方向に舵をきるきっかけともなった医師と出会う事となる。
次回に続く